スケートと浪速のエンターテイナーとスケート

大好きなフィギュアスケートとその競技界で奮闘する友野一希選手について語ります

七夕の願い事🎋(日付かわったけど

インストにあげてくれていた、Lifeオンライントークのプレゼント


2015MOIヌンチャクの写真にサインとイラストを添えて。という、トーク終盤の無茶ぶりに、公約通り⁇スケート靴とカワイイゆは菜チャンの似顔絵を描いたものを本当にみせてもらえるというTeam Ganbarudeのアフタースペシャルが実現し、本来なら当選したひとの特権なのにお裾分けいただけてとてもありがたいことでした(すでに抽選ハズレるの前提な物言い…笑




2015真駒内全日本の記憶には特別なものがある。



といっても冬の寒冷地遠征が不可能な身分である私にとってはお茶の間アリーナ「真駒外」だったわけですが

しかもこの年はまだ近年と違ってシングルも全滑走放送がなかった頃で。第グループ、カメラ回ってる!カバーかかってる(おこ)と、一喜一憂する現地様のレポ頼みでしかないので見てきたかのような大きいことはなにも言えないのですが


とはいえそのようななか、その年友野くんはジュニアながら初めてショートから放送枠に乗り、お茶の間にふれるきっかけとなったメディア的には幸運な試合だったように思う。

先だって全日本ジュニアで、日本のジュニア男子初めて4Sを加点付きで着氷し、(サルコウジャンパーじたい今と比べて少なかった)2位表彰台となったことでにわかに注目され始めたタイミング。クワドラプルに初めて単独ページが載った直後でもあった。


ショートを12位で終え、フリー滑走順抽選でなんと最終G直前の18番を引き当て、煽りのために無慈悲に編集されがちな地上波放送にも映してもらえ、


ただ滑走順のプレッシャーもあってか残念ながら全Jr.のように前半の波には乗れず、シニア編曲でいっそうハードになったマハラジャは悔しさの残る結果になったのだけれど



また個人的な話を冷や水的に差し込むが、私はこの頃いっきに推し度が爆発してしかも同時に激しく拗らせてもいたので、お茶の間にいながら我慢ならず試合終わってからというタイミングで初めてのお花とカードを、急な思い立ちにより現地様に託した経緯もあるという、現在に至る推し活の転機となった全日本でもあった



それはさておき、

代表入りかなわずちょっと切ない気持ちでMOI放送をみていたところ、目に飛び込んできたのが突然のブルースリー


しかも、ヌンチャクさばきがやたら上手い


一緒に踊る相手がみえるようだ、というのはよくあるが、格闘する相手がみえてくるというプログラムは衝撃的な新しさ… しかも、あっパンチくらったダメージ受けてる… とか何ごと…


世界ジュニア代表としてお茶の間に紹介されるところがみたかったなぁ…、という気持ちを、いやしかしこういうところが見たかったしこういうとここそ最高では!?!?!?

という語彙も崩壊する気持ちに満たしてくれたのを思いだす。6年前。



その後、国体で初めての首位発進をするもフリー終わってみると結果優勝は逃すという悔しさもまた残しつつ、ジュニア最後になる来季にを見据えたいいシーズンだったのでは、最終戦の海外派遣もがんばってねと思っていたところに、突然の世界ジュニア繰上げ出場の報が飛び込んだのだった。


この経緯はリアルタイムで情報を追っていて、いまも生々しく、そして胸がぎゅっとなる

前回もちょっと触れたが、素直に喜んでる場合ではない気持ち(自制)のほうがこのときは本当に大きく、気持ちを抑えこんでもとあった拗らせに拍車がかかる複雑な胸のうちも生々しい記憶。


見守るスケオタタイムラインをよそにご本人は迷ってる猶予もなくいちばん最後に現地到着して1番滑走で滑ることが決まり、

この時デブレツェンで受けた現地メディア取材の記事は(スクショに保存して)(おい)今でもふとした折ときどき読み返している。


初めての、本当に急なJW出場の個人結果は15位。数字だけみたら一見地味だがPB更新。

女子はダブル表彰台なうえ全員入賞していたし、男子については前年のような華々しいものでは無かったかも知れないけど、大好きな先輩たちと力を合わせて死守した2枠はほんとうに貴重なものだった。

あのときフリー最後に登場した優くんの緊張感がパソコンの画面越しに痛いほど伝わってきたのがいまも忘れられない。

みんなすごいがんばった…



そして戦い終わってガラの時間


まさかの、ふたたびの、ヌンチャク


え??あんな急だったのに持ってきてたんかい!


カズキトモノさいこうだな???



…手前勝手ながら、私はこのとき、満足してしまっていた

というか、至極突然の代役からの責任は果たし、エキシまで!ナニワのエンターテイナー世界へ!リガ(JGP)の借りは返した!くらいの気持ちでいた。

やはり出られなくなった選手の経過が気になっていたし、今回ここはもうこれでじゅうぶん、くらいのつもりもあった。


だけど、後々のご本人の言葉から、この試合が同時にすごく悔しかった試合として心に残っていた事を知る。


当時とて、後日のJsportsで放送された演技後インタで、「草太においてきぼりにされないように」の一節がとても印象的だったが、おそらくあの時初めて、いっけん歳よりあどけなくすら見える明るく屈託なさそうなイメージの奥にしっかりと潜む、アスリート友野一希の精悍かつ理知的な自己分析と丁寧な言葉選びを耳にすることになり、私(1オタク)の思い(重い)はますます深みにハマっていくのだけれど



日付け変わって昨日は七夕、

あの転機となったJW出場の翌シーズンの始まり、長岡で開催されたDOIでいきなり本気のショートプログラムを見せられたあと、Twitterで七夕の願い事として、


「自分でつかむ、勝ち取る」


とのつぶやきがあがった瞬間、願い事なのに決意かよと突っ込むと同時に、彼の決心が叶うように願うのがオタクのつとめだと心の短冊に呪文のように繰り返し書き記したのだった




今年も明日からDOIがはじまる。

6年連続6回目の出演。

基本メダリストとチャンピオンシップ代表選手の出る強化エキシビションゆえ、海外ゲストなどがいればことしは出演叶わなかったことかもしれない。ていうか正直いうと出演者発表に名前をみつけて驚きすらあった。GPのエントリー権同様、なにごとも当たり前ではないのだ。ついこういう物言いばかりしてしまうがただ本当に、あの年から毎年出演者欄に名前を連ねてきたことは決して簡単なことではない。

…これは常にトップポジションの選手を当たり前のようにみているばかりのひとにはピンとこないかもしれないけれど。(嫌味とか皮肉、妬みなどでは決してないです)


あの頃からスーパーサブとか代打の神様よばわりに複雑でリアルには気持ちがしんどい思いもしてきたけれど、どんな時代もそういうポジションに居続けられる、しかも有事の際(物騒だな?)には結果も残す。それは並々ならぬこと。それだけの鍛錬を普段から重ねている、実は隙のない粘り強いアスリートであることを、私はすごく尊敬し誇らしく思っている。



どうか自分史上最高の年にしたいと話しておられたシーズンが、その積み重ねたものが実を結びますように。

ぶ厚い雨雲の向こうの星に願いを捧げます🎋


そして、まだ日付け変わってない海の向こうの師匠にもはやく逢えますように、そんな安全で健康の不安がない世界に早くなりますように🎋