スケートと浪速のエンターテイナーとスケート

大好きなフィギュアスケートとその競技界で奮闘する友野一希選手について語ります

今季GP2戦を追えて雑観(超個人語り)… ①

あっという間にファイナルが始まりシニア男子本番の滑走が始まってしまう。

出場するみんな本当おめでとうなのにどうしてもいつまでも真駒内の記憶がいまだヒリヒリしていてスケオタに非ずみたいな感情の起伏もあって、好きなスケーターたくさん出るしジャパン的にも快挙、にもかかわらず正直な気持ち穏やかに観られるか現時点でまだ自信ないという脳がなんとも自分史上初の異常事態になっており。

こんなに引きずっているのはあたまおかしいんじゃないかと、いっそ離脱したほうがいいんじゃないかと自分が嫌になってもいる。

昨年は必死でまぼろしの門真ファイナルのチケットを揃えていたのに。

 

これはもう抗っても仕方ない素直な気持ちなんだと思うので、ちゃんと競技や他選手へのリスペクトは語らずとも胸にあるので、でもいまのtwitterTLで積極的にバランスよく触れるのがどうしても心情的に難しいだけなので、変に隠さないでいようと思う。

その上で今のタイミングがギリギリ(いや過ぎてる)、切り替えないと本当にスケオタ失格になってしまうので、ここで、いま敢えてこのログを使ってひとりで語るのをどうか許してほしい。

 

 

これはずっとメモに書き溜めては修正していたものなので心が半月前に戻ります。

ええ、このタイミングで推し語りです。

推しは元気にナウボイス更新してくれています!いつの構成か分からないけど最新ノンノも来ました。

強いなと思います。ほんと強い。強さってそういうことやでと思います。

なのでいまさら話が!戻るの無理って方はこれ以上読み進めずに引き返してくださいね!

 

 

さて

私は、わりと用いる言葉は平たくても分析力自体が高めな推しくん友野くんが、トップ選手の「気持ち」の強さみたいに折に触れて言っておったのを、いままでは正直いまいちふんわりした表現するよな(気持ちて何やねん、的な)と感じていたのだけど。すみません

それが、今季になって何となく、うまく言葉にならないというか敢えて明言にはしない「こういうことか」というのを、あの日本人が気付きとともに意識変換したことで溢れ出した言葉の数々でいろいろみえてきたというか。

 

こんな事いうと他選手ファンの方からは異論があるかもしれないが、やはり彼も言っていたように、個性や強みの違いはあるものの、現在ほんとの頂点、そこに続くところにいる何人もの選手たちの実力自体はわりと拮抗していて、最後のところで掴み取るところは「気持ち」(精神の強さ、高さ)。だなとふと感じたのが。

 

エスポーの結果がでて6人出揃ったタイミングにそうtwitterでも呟いたのはやや語弊があったかも知れない。

しかし事実その拮抗の中にいて、これまでに思わぬ苦難に見舞われ離脱して不本意な時期を乗り越えたりという事はあっても、やっぱり若くに頂に手が届く場所からの景色をみていた選手はたぶん当たり前に心のステージが高く重圧を制する力も強いんかもなと、これはもう抗いようのない無意識下のアドバンテージのような気がした。

無論彼らには彼らの、大変な道程があったろうしなにより最終戦で力を出し切り順位を上げてもぎとった駿くんがインタで見せた姿は胸を打つどころではなかった。

 

順調絶頂なタイミングに大切な舞台でのアクシデントから耐えてきた時間のつらさは想像を絶する。それまで経験することがなかっただけにたいへんな厳しさかもしれない。

それでも、それこそ幼い頃から頂点を知り周囲の大きな期待を背負い、苦難を経てうまくいかないときも自分はこんなもんじゃないと思える力が、実際その場のコンディションやフィジカルにかかわらず引っ張り上げられて発揮できるようなもともと知る立ち位置が高いことから自然に備わってるんじゃないかなとも感じたのだった。

事実、駿くんはトリノに「戻って」きた

 

 

ここで断っておきたいが、こういう書き出しをするのは、NHK杯フリー後の言葉録画はいまだみれてなくて公式動画から、各社記事毎日倉沢さんの記事、そして後日でた報知ニュースの一問一答までを読んだことがきっかけになっている。

また、ちゃんと書き残したかったのに順番がもう完全に逆になってしまったがNHK杯を現地で3日間観戦して、結果たらればではあるけれど、あんなにデスマッチ呼ばわりされていた大会前になぜだか謎の自信(過信?期待?いやそんなんじゃないと思う)を確かに覚えていたうえに、いざ終わって結果がでてからも不思議と「やはりこれは今回いけたよな」と、現実を受け入れたうえでも思えたり、「ここにはギリ間に合わなかったけどやっとその境地に達してくれて嬉しい」という、烏滸がましさ極まりないオタク感情あっての故である。(一部遠慮を織り交ぜて言ってます)

今回NGフリーなかんじで語ってはいるがどの方面にも一切の他意はなく、まして否定的な話では断じてないのをどうか理解いただければ、と願っている。

 

 

本題に戻る

 

そして

その、私の世界でいちばん応援している人は。

年若いときから身近にそうしたエリート位置との差異を見て感じてきて、自身の世界が開けて一段ずつ上がっていく中で、確かにその階段は、とうに天井に続く扉に手がかかり光が漏れるほど自力でこじ開けられるほどに辿り着いていても、それだから自分には、なおも「彼らに負けないだけのさらに強い気持ち」が足りないんだというつもりでおそらく今まで話していたのかも知れないなと思って。

もう何年もずっとまごうことなきトップの中に揉まれて戦ってきているのに。

 

 

先輩との河原で談話のときにも、世界に出る以前、幼い時から馴染みの先輩達相手ならではな語り口もあったとはいえ、どこかトップアスリートらしからぬ、選ばれし者と自分との違いのようなものを、ああここでそんなふうに話してしまうのかとほんのりざわざわしながら感じてしまっていた。

かといってそれが諦念じゃないのも勿論十分に伝わってはいる。なにせ諦めたことがない男だから。自分はソウジャナイ側だけど目指すところは決まっている、という。

 

頂やその尾根からの景色を知る者。なら、そうでない側の、彼自身の語彙にある「雑草」としてやってきた選手はどうなのか、って時に、「苦労してきた自分の弱点を克服するために見つめて受け入れること」を過程とするのは、むしろ、ちょっとやそっとじゃ揺れない芯の強さが備わってないとできないことで、なおかつ本来いろんな競技のアスリートの多くにとっても必要とする心得なのではと思う。

だが、それ自体がまず目の前の大きなハードルになり、自分の定位置を決めてしまう足枷というか、深層で運命化してしまうというか

本当に無意識下で、やるぞという気合いは当然ありながらも裏腹に、この試合では自分はこれくらいみたいな形に貼り付けてしまうところにはまっていたんじゃないかなとほんのりしかしざわざわと感じていた。

日本国内でトップに立つのはそのまま世界でもトップになるに等しいことだし、そんな五輪メダリストで枠が埋まっていたような強豪国では、エリートなアドバンテージを持たざる者にとってそびえる壁は気が遠くなるほど高く、傍目のトップ、エース的な条件をもっても厳しいもの、と位置づけられてそうで。

 

それを乗り越えられないのは結局弱さだというのは簡単だし端的になにいってんだ自分を信じろよと言うのもあまりに単純だけど、こればかりは、そもそも本当のただの凡人には理解し難い、めちゃめちゃ難しい、たぶんだけど他競技でもトップやそこを志すアスリートの多くが抱えて推敲してるのではと思われる、紙一重の心理なんじゃないかと。

さらには、こつこつのし上がってきた確固たる実績を称えてくれる後ろ盾や環境がなければ、折々目の前のコンディションにたやすく左右されてしまいがちな脆いものなのかも知れない。

まして、具体的にそのことに不安がともなう状態で凌いでたりすると

 

 

それでも周りをなぎ倒していく底意地に頼ればいいが、加えてうっかり洞察力が高いばっかりに他者へのリスペクトに直向きだったり謙虚さやおまけに面倒見のいい優しさまで備えていると、重要な局面では本来人として大切で愛すべき人柄までも勝敗にこだわる場面でつっかえになってくるんかもなと感じてしまったり。

競技への誠実さと仲間を思う気持ちが強いからいま同じ場で競っているはずのライバルをも精一杯応援して、結果としてさらに奮い立たせ力を発揮できるよう後押しする事へつながるのに。それはイコール、ダイレクトに自分の立ち位置やひいては競技人生にまでかかってくるかも知れないのに。

自分は自分でしっかり頑張ればいい、それくらいしなきゃ自分は……、なのだろうが。

 

推しの大好きで人として社会にたつ大人として心から尊敬するところが、微妙な背景や立ち位置とも相まってる勝ち負けの世界では、ただ推しの喜びがみたい成功を望みたいだけのファンの気持ちのうえでは、同時になんともならないもどかしさすら覚えていたのだ

 

 

以前にもここの別の場所でほんのりかすっていていつか語れる日が来たらとタイミング見計らいつつ、デリケートな部分だがこれはもう避けて通れないことだと思うので忌憚なくいうが、草ちゃんの存在が、猛烈に大きくなっているなと感じずにいられなかった。ここ数ヶ月。

そこまでするんだなと思うほど、人目を憚らず(現地私のド正面で)目立ち過ぎるほどに最終滑走の彼が力を出しきれるように檄を飛ばす姿、フランスのときにも聴こえてきた日本語のぜったい観客席からじゃない滑走中の声援といい、スポーツマンシップとか仲間だからとか、ましてオタクの願望混じりに大好きよね〜とかだけじゃ簡単には言い尽くせないものがあるのだろうと感じながら私は見ていた。なぜならそこは0.01点で明暗をわける完全な個人戦の場なのだ。

それは、年明けの名フェスで目立ち過ぎるほどにイオチサロに盛り上がる姿からもすでに感じられていた。どんな時期もきっと変わらず寄り添ってきた仲間だったとは思うけれど、彼が苦しさのなかにいたときにはむしろ表に見せなかった景色。

今季だってもし自分がリードしていた状況ならそこまで見せたかなと思ってしまう。

これは私の想像も過分にあるけれど、エデンの年には確かにフィジカルがイーブンのところまで上がってきていたはずの草ちゃんと、でもそこでは泥試合なんてちょけて言いながら、自分のほうが前を歩いていながらも常に必ずより相手をリスペクトしてみせていた。本当に彼の精神的にも環境的にもフルパワーになった状態で戦えなければいけないという縛りがどこかにあったんじゃないかなという気がして。自分の状況がどうかにかかわらず。

その気持ちが、明らかに意識しすぎだろとか大好きだろとかあげくトップオタみたいに外野に言われるような今季の言動に出ているのかなと思っていた。

 

そのなかで、ちゃんと友野くんは、かつて世界にでる最初のきっかけはともかく、もう今は、ご自身はご自身の習得した技術と実績と自分だけの強さを含む確固とした地力をもって、ちゃんと揺らがずに自信をもっていてくれただろうかということ。

よもやど素人の憶測で、そんなライバルが調子いいから弱気になるだなんてことあり得ないのは分かりきっているが、そういう浅い話じゃなくて、幼い日の立ち位置、ある日を境に運命が大きく別れた数年間のこと、そこからの今現在をなにか確定づいたもののように心の位置をつけてはいけないよ、弁えが自分を下げる形に働いてはいけないよ、と、祈りたくなるような気持ちがあったことは、肩入れはありつつも同時に特別な思いでふたりを見守ってきた自分としては否めない。

本当にデリケートなことだがこの部分、わかってくれるひとがいたらうれしい

 

 

スケートの神的ななにかは気まぐれが過ぎるので。

今季ことごとく試合が重なることとなるのに、ようやく環境が落ち着いてきて虎視眈々と準備し、北京の先の満を持して今季さいたまに照準をあわせてきたかのようなライバルに対して、昨季を集大成とまでいったその先も絶えず多忙を極めるなかで足元を試行錯誤したりショート100超から方向性一新したプログラムに苦心するなか競技者生活が大きく揺らぎかねない環境の変化で拠点は変わらずといえここまで遅れをとった形になってしまった。

 

それが、本人が名前を出し続けるもんだから否応なくみてるこちらも意識せざるをえない状況にもってこられてるところにここまでの対戦経過。

結果ただ、現時点でそれだけのことである、と、思っていてくれたらいいなと祈るような気持ちをもっている。私は。

なにせ次は、もう全日本なので。

 

別の角度から、気をわるくする方がいたら本当に申し訳ない。ただ、何年も実績を重ねて力をつけていながら敵わない選手のなかに名前をあげたり、追いつけるようにという言葉をもって彼と自分を語るのを聴くと、いや、何言ってんだ、というもどかしさが猛烈にわいてきていた気持ちは嘘つきたくなくて。

いつも思うことだが、誰かが不在だったり誰かの代わりに出たタイミングであろうと、2度のワールド入賞も2個のスモールメダルも四大陸銀も、5年間ずっと自力アサイ2戦をキープしてきてその中で4つのメダルを獲得していることも、ましてや実際に国際ジャッジから獲てきたスコアには真実しか無いから。ファイナル進出した選手たちが今季の顔ぶれとか大会ごとの当たりとか繰り上がりだとかは関係なく自力で勝ち上がって決めた結果であるのと同じように、友野くんのそれも自分の力で積み重ねてきたものだから。

 

一問一答で「自分を下げるのはやめよう」という言葉が出てきたのを目にして、誰に対してというわけでなく、ああやはりそういう部分無意識かもしれんけどあったんやなと感じてしまったのだった。

 

 

なんでそんな気持ちになるかといえば勝手に話題に絡めさせてもらって申し訳なかったが、仲良しでライバルなふたりがとか目覚ましく台頭してきた若手がどうこうという話より、これはもうはっきりいって、こんなやっと今度こそ自信もって光の扉をこじあけて熟成した技術のうえに成り立つ表現力が評価されるようになった史上最高のタイミングに(少なくともファン目線では)青天の霹靂みたいな環境の厳しさに見舞われて、多忙と挑戦からスタートダッシュが出遅れたことでメディアの注目から突然取り残されたようにまたかという、おそらく今まででいちばんモチベーションに響きかねない状況に思えてきたりすると、まさかこんなところで「諦めたことがない。で定評の男」が変な限界きめてしまったりはしないでくれよ頼むよ!と、そんな口出しする立場にないのは百も承知の上で、たまらなく釘をさしたくもなるのである。

まどろっこしい言い回しになってしまった察してほしい。

 

この現実と応援する立場の焦りながら祈るような気持ちはもう隠しても仕方ない。

勝手きわまりないがだれか助けて欲しいとも願っている。それこそ頂を知る側じゃないからとか年齢がとか(ここまで)あと一歩の壁を越えられてないからとかそんな既定路線で判断しないでほしい。と思っている。

自分、わりと経済的には苦労の波を経験してきてる人生だけど、それでも、油田もってないことをこんなに腹立たしく思ったのはいま現在が初めてである

 

 

 

タイミングがタイミングなもんで勝手に他選手との話までして申し訳なかったが、ひとりに偏るのもなんなのでついでに言ってしまうとその手の話はなにもこのたびの件に限らず、私こと1オタク目線ではあるが、鍵山くんを意識してるなと感じていた時期もかなりヒリヒリしていた。

個性がかぶらない代表男子のなかにあって、背格好などどこかしか似通ったところもあり、馴染みのお世話になってきた振付の先生がコーチとして帯同している(当時)。境遇に決定的な違いはあれども伸びるタイミングがゆっくりだったからともに野辺山を知らないし、スタートダッシュが一般的な強化選手たちとは違うところが微妙にかぶる。

ミラノワールドからの真の代表枠を目指す苦しい時期に届きかけていたところに急激に駆け上がってきて立ちはだかった壁。しかもずっと若くて可能性に満ちていて。よく知らないひとには何をしても上位変換的に超されて見られてしまうんじゃないかとさえ感じていた時もあった。

そんな折にもやはり、シニアの大会で競技滑走以外のところでまだ不慣れや緊張のある若き天才の、優しい兄ちゃんにこれでもかと徹していたのが強く印象に残っている。

私がこのログを作ろうと思ったきっかけの、2年前の門真NHK杯。自分まで猛烈に悔しかったあの日の表彰式で、前に出るよう優しくサポートしていた姿はいまだ忘れられない。

 

そういえばあの時のエキシもうっかり人違いかと思うほど美しかったな

イカれたラッパがではなく「復活のMai」とのユニゾンが。あの場でふたりを起用してくれた演出には一生感謝する

競技成績のうえでは苦しい時期だったけれどみて明らかにスケーターとして技術ステージが上がってると実感するシーンが多かったのがあの門真だった。

 

 

ライバルでもジュニア相手でも真摯にリスペクトする気持ち、(別記事で嫉妬もすると言葉に出たのはむしろ安心したが)、苦難にあった友を本来いたはずであろう場所に戻って来て欲しい気持ち、しかし圧倒的に親しみやすくて良い兄ちゃん。(そのさまをいまだに表面的にしかとらえず軽くみる人もいる。注目されてるとのび太のくせに生意気だぞうみたいな反応をいまだにする人もいるんですけども。誰にでも出来ることじゃないのに)

そこにここまで積み重ねた確かなものと、それによって備わって世界が認めているはずのものを素直に信じて「自分の強さに向き合う」意識にようやく転換するまでに、どれほどの思考と苦悩と学びがあっただろうと思って。

 

ライバルをリスペクトしたり面倒見よく振る舞うことを、自信の無さの裏返しみたいにとる向きもあるかも知れない。ただ、私が知る限り、ジュニアの頃から立ち位置の上下にかかわらずずっとそうやってきていた。

むしろジュニア最後の年は国内筆頭の立場だったけれどすでに今と変わらない立ち振る舞いだった

 

 

(あまりにも長いのでこの続きは②に分けます)

ラビットラビットホワイトラビット(🐇時々🦇)

今日から10月。

色々満載だったのにちゃんと書き記さないとと考え過ぎてなかなか更新できないでいたがとうとうスタンスを変えます。

烏滸がましくも、ここのログを使って自分にできることが何かないだろうかという気持ちがあったのは事実。一介のしかもかなり底辺のファンなりに有益なwebになれればいいと思っていた。かえすがえすも烏滸がましいぜ!

 

だがしかし、それをするには、私は怒涛のアウトプット未遂のツイッタ人間過ぎて、瞬発的には140字みっちり出るくせに言いたいことと責任のバランスも考え過ぎてあらたまった場⁇では結局なにも出せなくなってしまう。ネットの海に人様のことを出すのは責任重大なのだ。の、猛烈な呪縛。

結果、うまいことやるのはムリでした!

 

 

もちろん人目に触れること、固有名詞を用いるので配慮が必要なことは重々念頭においたうえで、だがしかしもう、もっと自由に日々の感じたことを残していきたい。

好きなことをただ素直に熱く語ればいいのだということを教えてくれたのも友野くんでした。

スケートや身体表現だけでなく、発する言葉からも魅力が溢れてくるのでどうしようもないぜ。友野一希(突然の居直り

 

 

スケートは人柄が出るとか、よくスケオタが使いがちな文言で、また、少し前の根性論みたいなところで用いられがちで、正直いうと長らく私個人はその考えに少し疑問というか天邪鬼的な反発の気持ちがあったんですよね

これは彼が言っていた意味からは飛躍してしまうのだけど、しばしば完全無欠にしたいときの代名詞にされたり、逆にライバルだったり何か批判したい相手との引き合いで使われることが目についていたし。

あとほら、他競技でも私生活がとか直接競技に関係ない仕事の露出がとか礼儀(メディア対応)がとかでこの手の話が出されるのをたびたび見かけてきたので(ここ最近だけでもうんざりマン)

いやいやいや、外野に何がわかるん、スケーターだって人間ぞ、氷の上でどんだけやってこそやろ!みたいな。むろんこれもある側面で非常に大事な、観る側が忘れてはならない事です。

ちょっと話広げ過ぎだけど、そこに繋がってきそうでね。

 

そういうのもあって私は、友野くんのスケートと同じくらいかあるいはそれを超えるくらい、生き方(人生の満喫)の幅や滲み出る生き様とか紡ぐ言葉にほんとはすごくすごく惹かれているのくせに、とはいえ、アスリートたるものそこを含んでの応援はよろしくないのではとか、ちょっと無理してバランスを取ろうなんとか取ろうとしていた。

我々にみえる姿はいずれにしろご本人を形成するなかのほんの一部に過ぎないのだから。しかも実は自然体とみせかけてぜんぶよそいきかもしれないし!(わかった気になっちゃいけないぞとブレーキをかける自制型オタクのアレ)

 

だけどどうだろう、彼自身の解れた言葉でフィギュアスケートの魅力として語られると、「いや、本当そうやん」「わたしがフィギュア好きなところと同じやし!」と、ごくごくシンプルな気持ちに立ちかえる。

もちろん個人差はあるでしょう。氷に乗ったら別人タイプもいるし。ただ、友野くんはそう、その人の生き様が表れる、それがフィギュアだと感じながら、自身もそのつもりで氷の上にいるんだなと、そしてその姿をお届けしてくれているのだな(と受け取ってよいよね?)

 

彼のスケートが観客を置いてけぼりにしないのは、ただパフォーマンスが派手だからではない。アピール激しいからでもない。と思ってる。

たしかに年若い頃はその側面も強かったかも知れないが、それでも何だろう、そういうインパクトを超えた強烈な「人懐っこさ」みたいなものがあった(あくまで氷上での話ね)

競技の場面でミスが重なったり体力的にきつくなってきて、でも懸命に顔をあげて両手を広げて。誰かが言っていたが「俺を見ろ」以前に「俺が見る!」

いっぱいいっぱいなはずの時にもその意識に引き寄せられて、結果とは関わりなく観る側を高揚させていたように思う。

 

成熟した今はそこに、単なるアピールではない、底上げされた技術をもって細部まで作り込まれた所作によって観るものの意識を惹きつけ、仮にエレメンツに綻びがあった場合にもそれを濁りにみせない余裕の楽曲表現(正直表現というとってつけた言い方しかできないのがもどかしい)や、ミスなど忘れさせる(これもありきたりな言い方しかできなくてもどかしい)見せ場やフィニッシュまでいっさい舞台から降りない姿で我々をその世界に連れて行ってくれるのだ。

 

これは、突出した体幹であったりお手本級の正確エレメンツの切り取り組み合わせだけでは出せない才能と技術(敢えて技術という)だと、わたしは思っている。

その証拠として、ここ最近彼の代名詞となっているフリーのコレオ、それが今季のこうもりでは独立したエレメンツパートとして浮いて感じないのだ。その代わり、冒頭滑り出しからすべての場面が楽器を、オペレッタの世界観を全身であらわしていて4分間オールコレオタイム、これは挑戦だと思っている。大袈裟ちゃうぞ。

 

待って、こうもりの魅力を語る会は次に持ちこそうと思ってたのにちょっと突っ込んでしまった。いや、あれは素晴らしいプログラムです(何様)

エレメンツを組み立てるためのプログラムではない。完全に音楽表現のなかにエレメンツを溶かし込もうとしているプログラム。

 

101点という成功を捨ててまるきり違うスピード感をぶち込んだショートのhappy jazzしかり、こじ開けた天井の穴をさらに広げて飛躍したい大切なシーズンにこの楽しそうにみえて鬼こうもりを競技プロとして仕上げるのは容易でないかもしれないが、私は、このプログラムが心底大好きだし、生きてる間にこんな上質なおもちゃ箱のようなプログラムを競技で見られて嬉しいくらい気持ちだし(大袈裟ちゃうぞみんな観て!)この先細かなピースが揃っていってさらに素晴らしい景色が見られるのを本当に楽しみにしているし、そうなる日を祈ってる。

 

なぜなら今すでに確実に最高だから。

 

 

そして話が行ったり来たりするけども、フィギュアスケートはその人の人生という確信と、今季のプログラム3つを観たことによりずっと理由なんてあるかい!と思ってきていた

「自分は何故にこんなに友野くんのスケートが好きなのか、友野一希というスケーターの好きな理由」

というのが、ぼんやりではなくかなりはっきりと形になりました。

 

ちなみに、前にも記したかと思うしことあるごとに口にしてる気もしますが、

「自分が何故にフィギュアスケートが好きか」

の答えは全日本ララランドの現地体感にありました。

 

 

 

 

 

 

長くなってごめんなさい。

書き留めた下書きが20を超えるほどの産みの苦しみからの再開なのでこんななったけど、このボリュームが毎日続くわけじゃないです。安心してくださいw

 

競技が好きだからみんな応援しているけれど低浮上なときも推しの話題がでたらつい盛り上がってつぶやきに偏りがちな私が、この先空気読めないひとになるのを防ぐ意味合いもあるので(そうやってまた考え過ぎるやつ

今日も各所で試合がありますし。

 

 

 

友野くん、どうかご自身の最適解に沿うように、日々よい練習が積めていますように。

そして豊かな表現を彩る生活も充実して過ごせますように🌈

 

 

新年に寄せて2022-23

ツイッタではスケオタ忘年会で現地観戦まとめやシーズン振り返りが賑わっていた

が、タイミング逃してすっかり寝落ちていたのでこちらでマイペースに逡巡したい



2021-22シーズンの始めはDOIからだった。

そう、史上最高シネパラへのはじまり。


もっとも私が現地でみたのはララランドだったけども。

初見の鮮やかなブルー、新横浜のショート南サイドを、風を切りながら広げた右腕から風を感じたあのわくわく感は忘れられない。


そういえば、飲まず食わず誰にも会わずの1公演エクストリーム遠征、その時のDOIは昼公演ララランドみて即帰宅からの夜公演シネパラをテレビで観たのだった。ちなみにザアイスも初回昼公演を現地でみて即帰路、ゲリラ豪雨の車内で配信の夜公演を視聴しましたね… 現地でないときにかぎってシネパラなのは何故と泣き笑いしながら


ところで当時のログにも迷い迷って控えめに書き残していたが、正直この年の始まりは覚悟からだった。五輪シーズンだからというより… 会場前の立看板に意気込みとして書かれていた文字が「集大成」だったから。


そりゃもう、仕方ないとはいえツイッタランドでは勝手に解釈しざわつく人達は当然ながらいて。大抵みえるところで言及しちゃうのは「同担」でないところがだけども。当該ファンは本人の言葉をまずそのまま受け止めつつ、深読みはあえてしたくないという感じだったのかな。ええ私自身はそうでした。意味するところはひとつじゃないだろう?と。


ただ、何があっても後悔しないように大切に応援する、見守ると腹を据えたきっかけとなったのは事実。友野くん自身も全日本前のカウントダウンでどうなっても後悔しない準備がととのってる旨を申されており。

年齢、立ち位置、特別なシーズン。いやそんなまだまだと思ってはいても、ほんの数ヶ月前に同期を見送った記憶も新しく腹据えざるをえないでしょうがと。

もっとも「集大成  史上最高」であると試合が進むごとに自然と入ってきたけども。



そんなわけで、このご時世もあり周囲に黙って突発的に越境するのはよろしくないという手前側の覚悟も重なり、決して推し活を家族に知らせずなるだけ感じさせない(漏れてるかはしらん)個人的スタンスを崩し、この年の全日本に向けてきちんと話して(余計な感情面までは伝えないが)、計画を立て予め宿もとり(ネカフェではなく!)…というごく基本的な準備をして臨むようになったのも、そこそこ現地会場に足を踏み入れるようになってから実はほとんど初めてであった。ひどいな笑


自宅から通えない現地は行かない(新幹線で往復上等)、翌日の朝までに帰れないところには行けない(ヤコバを逃しネカフェからの始発はギリセーフ)と決めていた自分としては相当の覚悟を要したわけだが。

ともあれ、自分自身スケオタとしてひとつ踏み込んだシーズンでもあったわけだ。

ただまあ、毎回はできないので(血の涙)

気持ちだけはクソデカいがそれだけではどうにもならない身の上、これでも有り難いと思わねばならぬ(血の滝涙)

自分のなかで折り合いつけながらどこからでも大切に応援していられたらと思っている



いや自分の話はいい。

ただまあこうやって身にあまる経験ができたおかげで、スケオタとして、特定選手推しのいる1ファンとして、世界いち幸せと自信もっていえる光景を見て感じさせてもらえたことは生涯の宝物にしたいと思っている。

客席からは声出し叶わないにもかかわらず、さいたまスーパーアリーナが揺れるほどの手拍子、拍手、スタオベ、熱気

それを操っていた鮮やかなブルーの友野くんを私は生涯わすれない。


もちろんそこがゴールなわけないのは百も承知なのだけど、これぞ、一片の後悔もない時間だった。何が好きか、自分はなぜフィギュアスケートを観ているのか、ひとつの最適解だった。幸せである。



実はそれまでの自分のなかでの最適解はJGP横浜のフリーだった。53ヶ月越しの。

ジュニア筆頭で迎えたシーズンとはいえ国内でも前年から注目されていた選手たちは他にいる中だったあの時とは立場も局面もまるで違うし、あの日も今回もモットスゴイ演技の本命達はいた。今も一歩先を行く好敵手だ。ただもう誰になんといわれようともあの時間の我が推しは最適解だったのだ


おそらくそのあと代打の代打モンペリエのシネパラが最高の高だったように、この先もまたフィギュア最適解を更新してくれる時が来るかもしれないしそれが現地で感じられたらめっちゃラッキーだがそうであろうとなかろうとも、とにかくそんな姿を楽しみに新しいシーズンを迎えたい


1年前には、どんな気持ちで次の年越しを迎えるか正直あたま真っ白でさえいたけれど、まだ見ぬ一新されたプログラムとルール改正、それに加えて、こんな未来はちょっと予想できてなかったほどの自己開放というのか氷上パフォーマンス以外での発信が豊富で、

特定推しの前に競技ファンであるゆえの五輪後特有の寂しさがどうしてもわいてしまうところを、その何ともまた別の違う期待に変えてしまう力さえあるなと。



直近non-no webの記事中にあった、LA滞在中に2年半ぶりに再会したミーシャと交わしたというスケートに対する思いや展望、どんな形にしろ未来を感じさせてくれるくだりがさりげなく入っていて涙がでるほど嬉しくヒマさえあればそこ読み返しに行ってしまう。

友野くんの内から出るパフォーマンスが、スケートが何にも代え難くとにかく大好きなんですよ。


どうか怪我などなく、心身御健やかに歩まれてほしいなと願っています。




今年もいいシーズンになりますように




(以下追記:20220701 夕方)


ここまでの文面をちくちく綴ったのが今朝未明、遅出の出勤準備をしているところに本人からの通知が飛び込んできた────


正直いってこんな新年になるとは思っておらず、またも動揺してしまっている。まったく修行が足りない。

所属先との契約満了はニュース記事にも上がり、またまたまた勝手にざわついてしまうひとも。

まあ自分もしっかり狼狽えましたけども。


それでも、ご本人からの出された言葉を読み、読めば読むほど、なんて誠実で素敵な人だろうと思ってしまう。知らんけど。大好きだ。(どさくさ)


今は出されたことしか分からない、わざわざ律儀にプロフが原点のクラブに記載してあることしか読めない。

何か先のことが決まっているのか、いまはとりあえず白紙なのかも、分かりようがない。当たり前だ。

ただ願うのは、恩返しできるようにという言葉が叶えられるよう、集中できる環境がととのい守られること。


しかしなんと動揺してる間もなくこれからすぐDOIが始まる。

happyをお届けしてくれるひとが、happyじゃなきゃ始まらない。



友野くん、何が変わっても変わらなくても、どんなときだって応援しているし、あなたのhappyを全力で願っています。


(さあ続きはこの目でみてからだ!)


24歳のお誕生日によせて(大・大遅刻

おことわり※今回はいつもに増してただの1ファンのクソ熱お気持ち文です


 


今年のお誕生日はなんだか例年になく特別感があった。


わたくしはTwitterが主な生息地なのでそこでの認識になるが、誕生祭タグを見かけるようになったのはミラノ後あたりからかなと記憶している。

でも、自分はそこに乗っかれるアカウントじゃないと変に引いてしまっていて。ご本人はじめ他の同担の方からの認知や、それだけじゃなく以前からやり取りある方に引かれるのが不安で尻込みしていたというか。

自意識の角質化、知ったことかいって話なんですけども。めちゃめちゃ気にしてしまって。

(気合い入れて始めたこのログでさえ出せなかったりすぐ引っ込めたりする始末なのでお察し笑)


でも今年は(わたしのTLはいろんな方がいるのでこれでも控えめにしつつ)ようやく最初から素直に自分もその波に乗せてもらった。

楽しかった

まあ考えたら今までだって地味にいにしえのTL内でセルフ祭りはしてましたけども今年はなんかまた派手にうかれとるなという感じでしょうか

生温かい目で流してくれた方々ありがとうございます

 

いや、その頑固で偏屈な気持ちに変化が現れたのは、なんだろう

元々は、節目となりがちな五輪シーズンを後悔なく過ごすぞ!ってアイドリングからの勢いもあるけれど、その特別なシーズンが進むうちに、ご本人友野くんが自身の言葉をたくさん発信してくれる機会が増え、それにともなってか五輪前だからか、以前よりも丁寧に当人自身を掘り下げてくれる記事も少しずつ出てきて。

なかでもNow Voiceが始まったこと、友野くん自身がマイペースに自分の好きなことを躊躇いなく発信し始めてくれたことはとても大きいように思う。


non-noの趣味語りや、Now VoiceでのPIW愛語りは正直笑っちゃうほどすごかった。

表現する人ならではなのかも知れないけれど、もっと額面通りに必要とされる事を感じとってそつなく話すタイプかなと思っていたので。

それが、ひとたび開放されるとこの人こんなに好きなことに真摯で、自分がどうであるかにここまで堂々としていられるんだなと。

かといって調子に乗り過ぎたり足元見失ったりはしないのか…(大好きなPIWにどうみても異例の直前追加されたり超レジェンドの代役にチームと絡んで大活躍したことの詳細にもみずから一切触れないんだな…)


ご自身では、楽しいとつい調子に乗ってやらかすタイプだというけれど、その自覚がバランスとれてるし別に多少は構わないのではとさえ思ったり(何様)。自己をよく知り、全体をよくみて、しかしその上での、何といわれようと揺るがない自信みたいなのに裏打ちされてるのかな、などと解釈致しておる。主観ですけども。どうでしょうね。


それに比べて己はなんだろいい大人がなにグジグジしてんだ、と喝入れられた気持ち?さえあるんや正直(他人きっかけにすなw



で、その真っ直ぐな言葉のなかには、折に触れ、まあ見てるよねとは察せつつ、ファンの盛り上がりだったり時にざわつきだったり、よくもわるくもそういうものを細かに感じとってる気配はあり。まあSNS社会を生きる名の知られた人は多かれ少なかれそうですよね

しかしあくまで普段の明るさで、誰も何事をも否定をしないかたちでさりげなく今を伝えてくれる。ボクハココニイルヨ。

軽快なのに優しくて、繊細そうだし実際繊細なんだろうけれどしかしスッと軸のしっかりした強い発信。友野くんのスケートやジャンプみたいだな



かえすがえすも。本当に素敵なアスリートであり人物を、好きになったなぁと思う。見る目ある(自画自賛



いわゆるジュニア後期の「マジカルチェンジ」以前に無性に気になって、演技にリンクでの様子に取材の言動にずるずると惹かれて、気付いたら必死に動向を追っていたそんな自分に変な罪悪感すら抱きコソコソしてたくせに、知名度が上がるにつれては他者との解釈違いにやたら拗らせたりもして。かといって自分にはアピールしたり堂々とプレゼンテーションする力が無いのもわかってて、うっとおしいほどもにょもにょしていたおのれ自分。いちばんうざいやつ。ああめんどくせえ。


その間にご本人は想像を超えた成長を遂げて、逆にこちらにそんなことよりもっと大切なことをどんどんと教えてくれるようになった。




恥ずかしながら彼よりもはるかに長く生きてきてるけれど、ほんと尊敬する。



僕は諦めたことがない、だなんて、なかなかカッコもつけず言えるようなことじゃないよなと思う。

同時に才能に恵まれた若い後進を寸分ためらいもなくリスペクトしてみせるところも。

いや根っこの本音など知りようもないしそれが心構えかも知れないけれど、友野くんが現実そう言うんだからそうなんだわ、と受け取れる。

虚勢とかじゃなく話してるなかでさらっと出てくるんでしょうどうせそうでしょうと察しつく。

だからこちらも彼のファンであり、フィギュアスケートのファンでいられる。大袈裟かも知れないけど、これは特推しがいる立場としては大きなこと。別にどちらでもいいんだけど、私個人は競技スケートを愛するファンでありたいので… 特推しがいることで揺らぐようになりたくはない思いがあり。



話が逸れた


その御本尊、苦労を悲壮にせず、冗談ぽくマジカルチェンジとかいうけど実際は本当に壮絶な努力してきてるんじゃ

大人のアスリートとして日々磨き上げてる姿を応援していたいから、私は「トモノクンガンバッタネ😭」とは(思ってても)あんま言いたくないタイプのファンですが、かわいいだのなんだの言われがちな面差しにこれまでの生き様しっかり刻まれてるんだよとは感じてる意識的にあざとさ出してるとき以外は精悍な色気にしかみえないんだわ私には(あくまで個人の意見です)(チョット力入った)(自重)

それもようやく光に届くかと思ったら突き放されるような状況も次々と受け止めてきて今がある。悔しい局面を卑屈になることも、過剰にメラメラさせることもなく


そりゃできたら楽しい姿だけみたいけれども、あらゆる経験を自身の栄養にかえられる人なんだなと感じるので、そしてどんどんスキルアップして表現の幅も広がっていく人だなと感じてるので… なにも無駄なことはないんだなと気付かされる。



そのような友野くんですから


先走った一部スケオタがふざけて無神経な盛り上がりをしたり、仕事の幅が増えてきてちょっと違うぞということがあっても、まずどんな仕事や関係性にもただの受け身でなく責任ある足跡をのこし、どの立場の誰も傷つけず、ただ正直さ、誠実さだけをもって自身の気持ちは示す振る舞いをしてのけるんだなって。そしてファンには、自分たちはこのままで大丈夫、との安心をくれる。意識してるわけじゃないかもですが。事実そうなんですわ。申し訳なさある… 

しかしこれ当たり前のように見せてるけど大したもんだと思ってる。

それもね、けっして無理してるようには感じさせずに。

少なくともヘタレのくせに自尊心だけクソ強い自分にはいちばん出来ないことなので。

このしなやかさ本当すごい尊敬しかない



とまあ、ここまで言いたいこと言っておいてなんですが、あくまで彼はアスリートである。心得てます。フィギュアスケーター、それも世界で戦う現役の競技者で、そこを応援し、プログラムを演じるさまを好み、良いパフォーマンスを祈る。

それが第一だと思っています。違いない。


ついでにいえば、フィギュアスケーター自身、みんな違ってみんないいと思うし、応援する側全般、どんなタイプが、誰が好きかもそれ自体は人それぞれ。何が正解も至高も無い、です。広義ですが。ここは特定アスリートのオタクのあつくるしい部屋ですけど弁えておることは、念の為あらためて申し上げておきます。

 


…ただ、事実、私にとっては、友野一希というアスリートでありパフォーマーの、見せてくれるすべてがもう世界で一等です。

なので彼が愛するもの、また彼を愛するものをひっくるめて大切にしたい。

そしてそういう自分になるだけ誠実に(大切にしたいばかりに曲げられないことや時に勝手に燃えることもある我が気性を含め)生きたい、と思っています───




──さて

当ログはそのような御本尊の勢いに追い付けず、まだ昨季を振り返れてもないのに。もう来季のプログラムの片鱗がチラついている。のかな?ですよね師匠?例のはちょっとしたお遊び、ってならそれもヨシですけども。


それにしてもだ。

スケート人生、スケート愛、ミラノからの4年をまとめあげたような情感こもったプログラムの完成で世界歴代6位のスコアを残したシネパラとは、なにやらもしやもうまったく別ベクトルの新プロに挑もうとしてませんか!?またこちらの心臓鍛えにくる気?!どうなん!!!笑



でも、そういうところも含めて、たまらなく好きなんだよ!

仕方がない!!!

いろんな景色をみせてくれる友野くんとそれを支えるあらゆることに感謝ですよ!

(なぜ最後にこうもヤケクソになるのか笑)

 


 


お誕生日おめでとうございます🎂


24歳の日々がより自由に輝いて、色とりどりな宝の粒で人生が彩られますように


これから始まるシーズンもまた変わらず応援させてもらえることを、このうえなく嬉しく思っています

どうか御健康で。

史上最高のシネパラの話(その①)

全日本遠征から帰って年末年始に地味に書き留めていた内容です。出すタイミングを窺ってるうちに(毎度このパターン)波瀾万丈のシーズン終了。

このまま封印のつもりでいましたが、SOI大阪公演を現地観賞したところで、ふり返りたくなりました。

当時の所見と感情なのでいま読むと随分と思い詰めてる部分もありますが。以下そのまま投下します。


↓↓↓




全日本を終えて1週間経ってしまった

いつの間にか年も明けている

だがわたしは未だたまありの夢のなかにいる心地である


五月雨的に吐き出す以外に他人にまつわる話をまとまった文面で記載するのは自分には難しい

書きたいことが自分でも引くほどの気持ち悪い量になりパンクしてロステレもそれで出せないままになってしまった

今回は恵まれたことに全日本期間中2日目からMOIまで一時帰宅することなく現地滞在できたのでその間こまめに更新しようとも考えたが、根がtwitter暮らしなので無理だった

あちらだと140字を連投しがちだからそれをこちらにすればよいだけなのだが

自分の中では別のものなので難しい


もう出すのやめようかとも思ったが、新シネパラをようやく現地で観られたことについては書き残しておきたいのでそれを中心に──



ちょうど1年前、心の準備なしにまる2年ぶりに旧シネパラをみたのが昨年の名古屋フェス。

身にあまる贅沢をしたからかそれ以来アイスショーの現地に何回か足を運んでも見事にタイミングがずれてシネパラにはとんと出会えなかった。

その新シネパラが進化していくのをみて、ついにロステレですべてのエレメンツを揃えたものを配信でみたとき、欲深い自分が感じたことは、現地でみたかったという気持ちより先に、ミーシャみてくれただろうか、という事だった。

JO後のコメントだったか。試合になるとジャンプに意識が偏ってしまう(それでリモート反省会になる)という話。わたしは新しいシネパラになる前から、1年前の名フェス旧シネパラの時点で、以前の競技シネパラとは違う感動を覚えていた。それはおそらく彼の積み重ねてきたもの。ここから先は以前記したDOIの感想をなぞることになってしまうので自重する



さて、GPロステレでショート1位となるパーフェクトシネパラが見られたことで、全日本に欲というか邪念がでてきた同志の方はいらっしゃいませんか

わたしはそうでした。(キッパリ

…というか、トップを意識し始めてからというもの、全日本ショートで気負いというかなかなか力が出しきれず結果出遅れるという事が続いていたのが、あのロステレシネパラ(とララランド)をみたことで、もう大丈夫なんじゃないか、こつこつ積み上げてきた力の、あとひとつの鍵であるピーキング力がここにきてついに「ととのった」のではないかと。


年々激しくなる国内の争いのなかで、いつも外野も外野のただの底辺ファンである自分が生きた心地しないほど緊張して、スケート見たくないみたいな支離滅裂の心理状況にすらなっていたのに、ただ信じて見せてくれるものを待てばいいんだ、プログラムを楽しめばいいんだ、という気持ちになった。

いちばん緊張する全日本になる予定が、肝が座ったようになったという。

おそらく本人の、「どんな結果でも後悔しない準備ができている」という言葉にも後押しされたというか。



それで迎えた24(駆け込み入場)

男子ショート、いきなりジュニアの三浦君がえげつない点を叩き出し大漬物石になったあと、ようやく現地観戦叶った選手、1年半ぶりに見られるのが集大成となる選手、一人ひとりを見守るうちに時間は経ち、トップ争いが絡んでくる後半Gになるとさすがみんなここぞとハイレベルな演技をし、高スコアを上げてくる

いやでも緊張は高まるのだが、実は意外となるがままにという気持ちになっていた。


最終G5が入場し、挨拶からの6分間練習に入ってから、不意に、組分けや滑走順の印象もあってか3年前ラクタブでのシネパラを思い出してしまった。あるまじき不覚。

だけどあのときとまるで違って感じたのは、シチリアの水面のような淡いブルーをまとった身体つきの変化はもとより直前練習の動き方。当時はがむしゃらに跳んでいた印象が強く、勢いを本番に保つといった感じがあった。いつだったか随分昔の記事で、直前練習で出来ないとそれが本番でも出来ないと思って不安になるといったことを話していた(細かい言い回しは忘れてしまったすみません)

今回は違って、周回しながら直前の氷の状態を感じとり、軌道確認、ジャンプは確実にひとつ確認、というふうに。

配信や現地レポからしか見てとれなかったものの今季に入って少なくともGPあたりからこの形なのかなという印象はある。(JOは何度もはまらないジャンプを試していたがその頃は練習時間?環境?が厳しかったという話を後から知るのだけど)


この全日本、わからないけど、わからないけれど、けっして超万全で当日を迎えてきたわけではなさそうだなという勝手に感じる気配はあった。おそらく、これまででいちばん大切な全日本。だけど、せっかくここまで来たのにという気持ちを押しのけたのは、実際のところ本人のパフォーマンスだった。


後半Gの好演技が続いていただけに、先に述べたように、状態絶好調じゃなくても神が降りてロステレを超えちゃうんじゃないのみたいな夢をかすかに残しながら、今季幾度となく目にした、やや上がりすぎた4Tにつけたセカンドのダブルジャンプをみた。

続く4Sに入る一瞬の緊張感で正直JOでよぎったたまありサルコウくんへの不安が脳をかすめたが、着氷に乱れがありながらもなぜか感じたことのない、「でも大丈夫」という気持ち。できれば少しのミスも許容したくない場面だったのかも知れないけれど、謎の信頼感がわいてきてそこから中盤以降、アクセル含めて不思議なほど落ち着いてみることができた。

旧シネパラ当時はジャンプに乱れがあるとどうしても(みてる私個人は)切ない胸の痛みのように、懸命に、しかしどこか悔しさからくる空虚ささえ感じていたStSqが、今季は前半の出来に関わらず常に安定して滑らか。それは新作になって初めて現地で目にする全日本であっても変わらなかった。

3年前の、重い気合い(期待)からの夢やぶれた胸の痛みのようなステップの記憶が一気に昇華していくのを感じた。


ショートプログラムの結果は7

あのときと同じ順位

ハイレベルさ、熾烈さでいえば今回のほうが厳しさを増していたはず

だけど3年前とは何もかもが違う、不思議な、

「よし、ここから」

という競技に関しては腹が据わったそういう気持ちになり、プログラムについての気持ちは安直な例えだが当該映画をみた後のような

届くもの届かないものままならなさただそこに形を変えながらも確かにあるかけがえない自分の大切なもの

そして、成長するということ


を、感じ

不思議なほど落ち着いた気持ちで翌々日のフリーを迎えようという気持ちになっていた。

なにがどうあっても、穏やかな気持ちですべてをしっかり目に焼き付けてこようという思いになれたのはおそらく友野一希というアスリートを応援するようになって初めての感情でした。


まさか翌々日、たまありが天井まで揺れるような景色を見せてくれるとは予想もしていなかったけれど───



↓↓↓


追記後日発刊された雑誌のインタビューで、この全日本ショート直前に股関節を傷めていたことを知りました。

また、毎年全日本はまさに命削ってる(本人談)、終わったら満身創痍で体調崩して年末年始ということも。

素直で時に無邪気でみたまんまの持ち味をいつもみせてくれているけれど、思い至らないほどの困難を重ねての姿なのだなと。それでも本人がただ見せようとしてくれるものを真っ直ぐ、大切に、尊重したいとあらためて感じさせられました。



GPイタリア杯とそれまでのあれこれ(クソデカ感情論

一期一会で感じたことを残していこうと思っていたのですが

例によっていろいろ考え過ぎてしまって溜め込みつづけ。もう何回めやこの言い訳


(正直いうと大きな理由のひとつには、自分なりに最大限対策してるつもりではあったけど、善かれとするレポがこの時勢にまた現地かいとなると御本尊のイメージに響きかねないかとの迷いから出せずにいたのもありました)



とまれ大切に応援していきたいと誓ったシーズンも、イタリア杯が終わり隔離生活からの来週にはGP終戦ロステレという

一抹の期待を寄せていたCS派遣が無く、学生でもない今季は一昨年までと比べて極端に試合数が少なくなってしまった。

そんななかでもアイスショーにたくさん出られていたのは見せてもらえる側としても有り難いことだったです。



これは選手によると思うのだけど、友野くんの場合わりと一年中シーズン中ともなると多い月では隔週以上のペースで試合にでていたイメージが大袈裟じゃなくここ数年あって、波があるのは当たり前、ただどうしても最後にみた試合の印象が残りがちでその時の様子に一喜一憂してしまうええい、次だ次だ!

な、日々を過ごしてきたもので、試合数が少なく間隔があき、仲間でもあるライバル達の好演技を観戦しながら毎週末を過ごしていると、つい余計なことを考えてしまいがちに…(私個人の場合がですよ!



昨季プログラムを持ち越したままフリー3クワド投入するようになってから、その前年に苦労していたショート24回転という構成がミスや取りこぼしはありつつもまとめられるようになってきた代わりにフリーで苦戦するという場面が印象として残り、勝手なものでそんな時にはついどうしても見てる側の自分としては次戦までしんどい気持ちが残りがちになるのよくない

幼い頃から競技生活である当事者サイドは都度の手応えだったり課題の修正などにすぐ着手されているのだろうに。

見守りたい気持ちが強くなればなるほど姿がみえない時間をいらぬ推測に傾けてしまいがちになるのアカンやつですよごめんなさい。


ただそこは物分かりの良いファンでありたくて。次戦もこのままの構成でいくのかな…(もっとそこそこな点でるくらいに安定したつくりにする選択肢もどうですかね…) …などとつい考えてしまいがちな気持ちに蓋をするように、あくまで本人が決めて挑みつづけていることを信じて応援するのみだ!てんてこ舞い上等!それが我々のつとめだ!と言い聞かせてきたしこれからもその所存ではある。

本人のやりたいことが達成されることをひたすら祈り叶うよう願うわけですよ草場の片隅から




そういう意味では、イタリア杯は横っ面を硬めのサンドバッグ(サンドバッグのほうから飛んできた)で殴られたような気持ちだった。

ララランドの完成したときの諸々がチラ見えしてしまったからだ。



現地初見のときから

アッこれ大好き!好きを語りたい!でででも具体的にうまく言葉にならん!

であったララランドが。



友野くんご本人自ら、こいつぁ俺の曲だと、やりきったときの総スタオベが浮かぶんじゃ(意訳)と申されておった様がよぎったのはもちろん、

もしかしてこれエンターテインぬ真骨頂としてだけでなくて競技プロとしても実はすごい点がだせるように作られてあってそこに手が届きつつあるのでは?!

という気持ち。

なんていうとめっぽう失礼なんだけど、これは彼がやりたい曲だから!という、推しありきの贔屓目を横から蹴飛ばしたものがチラ見えして本当そのくらい目から鱗だった。


(彼のファン以外の方の目にも触れるかもしれないので一度だけ補足しておきますがここの話は側から単純にみた結果や順位の総評的なものとはまた別の視点です)



友野くんが関わる以前から国内の若いカテゴリの試合でミーシャのプログラムをみる機会があるたびに、ジャンプあわせるの難しそうというのが屡々よぎっていて。コレオグラファーミーシャの理想とする振付に競技者は自分の出せる限りの要素を組み込みたい。うんわかる!いやでもこれ難しいやろ!みたいな。


それだけに、理想と現実の近づきそうでなかなか近づかない難しさというか… 

経験と歳を重ね、魅せる盛り上げるだけでなく、曲の世界に在る情感を形にすることにも長けてきた友野くんなのに、しかも滑りこなせるようになったかなと思ったらまたすぐジャンプの難度をあげてしまうぅぅ

しかもいい歳して当人比MAXに。。(言い方よ)


JO後のインタだったかな、ミーシャに怒られちゃう。さもありなん。でもやりたいんやんな。そこのジレンマ!というのはずっと感じていたので。

わりと近年の雑誌インタでも、試合だといざとなったらジャンプを優先する(してしまう?)と話していた。

エンターテイナーでショーで群舞でもとびきり光ってる(贔屓目だと配慮しておく一応)んだけど、それでもいちばんは競技での彼を少しでも長くたくさんみたい、好きだから胃は痛いけど試合がみたい。(もちろん試合後のガラでもみたい)…そう感じてしまうヒントがそこにあるかな



そんなわけで()、完成形がチラ見えたはいいが、実際の内容はもう、本人も言うようにジェットコースターでした。こちら側の心臓も。

後半アクセル続けてミスったあとにコンボ2つ残したままラストジャンプも真っ正面から突っ込んでいくではないですか!しかもStsq後のスピンで脚とまったのではと思わせたくせに爆速で


私の記憶が正しければ、フリーのラストに3Aリベンジするのをみたのは3年前、りんすぽリニューアルイベントのアンコールリバダン以来2度目なのではないかしら

あの時はリカバリというより、ブロック翌週でややお疲れジャンプだったところからの旧シネパラリバダンという鬼はしごで、最後のルッツをアクセルに変えてきたのでした。フィナーレでもしれっと4Sを跳んでいたなそういうとこ見るとたまらない気持ちになってしまうんですよね



話が脱線しました。リカバリ3Aは単独になったけど、そのまま根性スピンからの踵にエンジンついてんのかなみたいなChsqに突入したときには、中盤以降のTESとかどうでもよくなりました。おそらく初めてです。私はいつも、試合の姿が好きと言っておきながらリアルタイムではTESカウンターばかり意識してしまっています… やっぱりいい点とって欲しいし… アスリートを応援する本音です。

それが、先に滑った鍵山くんの絶望スコア(もちろん脱帽の意です)表示もろとも気にならなくなり… いや、コレオで得点できることが分かっていたのももちろんあるけれど、最後はもうプログラムを満喫させられる気持ちに変えられてしまっていました。



フィニッシュ後、てへぺろ顔をみせながら上げた両手を下ろしながら、悔しそうに頭をポカポカしているようにみえた。中盤からのミスがなければという気持ちだったと思う。


だけど、PCSにおいて今までにない高評価をもらっていた。出そうでなかなか出なかった数字。あれだけの顔触れのなかで3番目に高かった。中盤ミスが続いたのに、先にショートで特に高評価だったとか滑走順や順位に関わりなく出たのは、私はもちろんジャッジでも関係者でもないけれどおそらくきっとプログラムと友野くん自身の評価だと思うから、それがこの立ち位置この年齢で認められるのは大きなことだなと感じました。


もちろん今季初戦の国際ジャッジだから次がどうかはわからないのだけど、氷との愛称やミスの有無は関係すれども次回以降もその評価が念頭にあればいいなと思うし、今回技術点においても、序盤からの決まったジャンプにはこれまで良いと感じてもなかなか付かなかっただけの加点がついていた。悔しいながらも課題と収穫があったと本人が言葉にするだけの、結果や順位だけでは見えない確かな収穫があったように感じました。



昨季からの序盤34回転、後半3A2本構成のフリー前半が理想的といっていい形で決まったのをみたのはシーズンまたいで初めてで、まずもってそれが大きなことだった。むろん毎回こうなるかはわからない。なって欲しいけども。

ただ、スコアでみるかぎり夏の全大阪でも序盤のクワドは入っていて(そのあと穴に引っかかって崩れてしまうのだけど苦笑)、この構成でいけると分かってるから続けてるんだよねという安堵感がうまれたのは正直な気持ち。


それと、ブロックでは感情の連鎖に引っ張られてしまったとの話はでていたが、今回イタリアのショート後インタにおいて、どうやらJOブロックあたりは練習環境に困難があったと知り。

あれこれ勝手憶測はしつつ本人が普段こういうコンディションや環境に関するネガティブな事をほんとに口にしない、なんなら毎回判で押したように万全デスとしか言わない人なので飲み込んで見守っていたようなことを初めて、ものすごい緊張感のなかギリギリまとめたショートが無事おわってからきいて、胸がいっぱいになってしまった。


うまくいかなかった時のものをみただけで引きずってあれこれ考え勝手に重くなってしまう所詮がただの外野でクソデカ感情な自分を恥じるばかりである。



ジェットコースター

これはフリー後にご本人のツイートからでた単語だけれど、こっちはすでにショートの段階からなぜだか手汗と胃酸の逆流がすごかった。

全日本かなみたいな。

だって配信画面に映る本人がめっちゃ緊張してる様子まで感受性の殴り合いというかゴリゴリに伝わってくるもん!(言い訳


よりによってこの大切な(いつも通りという選手もいるけど本人がそのつもりなんだからわしらにも大切なんです!)シーズンによりによって公式戦数が少ない。立ち位置を鑑みると少しも取りこぼしたくないのに、みんなどこまで仕上げてきてるか未知数とはいえアサインの顔ぶれはつよい。


あんなガッチガチだったのになんとかよくまとめたと思う。

などというとどこから目線かとお叱りをうけてしまうが、現地事前練習映像みられたのは曲かけのみだったので(視聴できたこと自体が有り難いことなのですが)曲かけ以外の部分がわからないので… ジャンプの調整については実際みるまでわからないから想像たくましくなるしかない



しかもとことん無駄な思考巡らせたがりの私は、それまでわりと足元の装備に無頓着というか問題はないタイプなのかなと勝手に思い込んでいたので(そういうこと本当言わない人だし)、タイミングよく?先日のフレンズプラスで靴とブレードについて事細かに語っている様子に、すごく繊細なんだなと。

スケーターの皆さんあたりまえなのかも知れないし今更だけれど彼に関しては不思議なほど初めて意識して、

近いところの試合見てきたなかでの印象からもしかして靴の調整は大丈夫かなとかもう土下座レベルにあれこれ邪推(邪推やろもはや)してしまって。

(いろいろ脳内のジェットコースターを語っていますがこれは単に私自身のもともとのタチなのでほとんど現実に起きていることとは関係ないです悪しからず)




まだまだ色々あるがともかく、あとからスコアと順位みたら取りこぼしに惜しいと思いがちなところを、なんだか結果以上に謎の達成感でいっぱいになったイタリア杯でした。

そうはいっても次戦も迫っているし、周りの各選手ものすごく頑張っている。ぜんぜん安堵したりまして立ち止まったりしていられないんだろうな


どうかこの先どうかなるだけ万全に練習が詰めて、それが競技会の場で形にできますように… (ロステレが安全に開催されみんな元気でいれますように






このタイミングでたくさん綴ったものを出してすみません。

お察しでしょうが諸処の心情もあり書き留めたものの山が膨大になり、それを精査する余裕がなかなかなく、いつ寝るのみたいなこの週末にしれっと放流することをお許しください。

まだ覚え書きがたくさんあるので、あとから修正して足すか、そうでなくともあまりに長いので分けて投稿するかも知れません。




(自分の話)

管理人つまり私のプライベートがゴタゴタしてしまっていたのもありますが、またまた長く途切れていたのを再開します。


忘れてたり書けなかったのではなく… 更新するに推敲しきれず読み返しては引っ込めていました。

いっぱい書きたくて溢れだしそうなのを堰き止めてしまっていた。もうシーズンがっつり始まってるのに。

オープンなインターネッツに勝手に名前だして書きたいこと書いておいて申し訳ないばかりです。


この場を借りて恥もなくいうと、私はええ歳して、節操ないけどお行儀のよいスケオタを公言していたい自分とは別にそこから細胞分裂というか地続きなんだが別腹で、実はほんとは毎日毎日最推しのこと考えているような人間で。推しの存在に生かされていますというやつもそんなんないわと表向きいいながら根っこでわかるタイプのやつです。それが中心になっちゃいけないよと理屈ではわかってるし冷静をよそおってはいるが、立派な自意識過剰の拗らせオタクです。

そんな生活になって少なくとも56年?7年?くらいを過ごしている。


ずっとTwitterでぐだぐた言っててそれが楽になってしまってたかな、やたら長い文かくのは好きなのに、自分が残る形で物を言うということに自信がもてないのだと思います。

冷静に考えたら見知らぬ他人に四六時中考えられて勝手に自分のこと書かれるなんて気持ち悪いやん、仮にご本人が寛容でいてくれても近親者の立場だったらどうか?そんなことをすぐ考えてはたくさん語りたいのに引っ込めてしまう。

そもそもTwitterでさえ固有名詞だすのに躊躇するくらい自分の言動に不安を感じているくせに、なんでブログなんか始めてしまったのか、いやこの話するの何回目だ… ええ加減成長するべき

読んでくれてる心優しく奇特な方にも呆れられるレベルである


ともかく、踏み出したきっかけのひとつには、ご本人のアスリートとしての覚悟のようなものに自分もそうありたいと思ったから。

ただの自分の見たもの感じたことの垂れ流しだけれど、どんな時も変わらず大切にいちばんに応援しているということをネットの海の片隅に残していきたいです。


また迷うかも知れんけど

もちろん応援することじゃなく気持ちの出し方で


しゃあない、それが私のスタイルだ