スケートと浪速のエンターテイナーとスケート

大好きなフィギュアスケートとその競技界で奮闘する友野一希選手について語ります

今季GP2戦を追えて雑観(超個人語り)… ①

あっという間にファイナルが始まりシニア男子本番の滑走が始まってしまう。

出場するみんな本当おめでとうなのにどうしてもいつまでも真駒内の記憶がいまだヒリヒリしていてスケオタに非ずみたいな感情の起伏もあって、好きなスケーターたくさん出るしジャパン的にも快挙、にもかかわらず正直な気持ち穏やかに観られるか現時点でまだ自信ないという脳がなんとも自分史上初の異常事態になっており。

こんなに引きずっているのはあたまおかしいんじゃないかと、いっそ離脱したほうがいいんじゃないかと自分が嫌になってもいる。

昨年は必死でまぼろしの門真ファイナルのチケットを揃えていたのに。

 

これはもう抗っても仕方ない素直な気持ちなんだと思うので、ちゃんと競技や他選手へのリスペクトは語らずとも胸にあるので、でもいまのtwitterTLで積極的にバランスよく触れるのがどうしても心情的に難しいだけなので、変に隠さないでいようと思う。

その上で今のタイミングがギリギリ(いや過ぎてる)、切り替えないと本当にスケオタ失格になってしまうので、ここで、いま敢えてこのログを使ってひとりで語るのをどうか許してほしい。

 

 

これはずっとメモに書き溜めては修正していたものなので心が半月前に戻ります。

ええ、このタイミングで推し語りです。

推しは元気にナウボイス更新してくれています!いつの構成か分からないけど最新ノンノも来ました。

強いなと思います。ほんと強い。強さってそういうことやでと思います。

なのでいまさら話が!戻るの無理って方はこれ以上読み進めずに引き返してくださいね!

 

 

さて

私は、わりと用いる言葉は平たくても分析力自体が高めな推しくん友野くんが、トップ選手の「気持ち」の強さみたいに折に触れて言っておったのを、いままでは正直いまいちふんわりした表現するよな(気持ちて何やねん、的な)と感じていたのだけど。すみません

それが、今季になって何となく、うまく言葉にならないというか敢えて明言にはしない「こういうことか」というのを、あの日本人が気付きとともに意識変換したことで溢れ出した言葉の数々でいろいろみえてきたというか。

 

こんな事いうと他選手ファンの方からは異論があるかもしれないが、やはり彼も言っていたように、個性や強みの違いはあるものの、現在ほんとの頂点、そこに続くところにいる何人もの選手たちの実力自体はわりと拮抗していて、最後のところで掴み取るところは「気持ち」(精神の強さ、高さ)。だなとふと感じたのが。

 

エスポーの結果がでて6人出揃ったタイミングにそうtwitterでも呟いたのはやや語弊があったかも知れない。

しかし事実その拮抗の中にいて、これまでに思わぬ苦難に見舞われ離脱して不本意な時期を乗り越えたりという事はあっても、やっぱり若くに頂に手が届く場所からの景色をみていた選手はたぶん当たり前に心のステージが高く重圧を制する力も強いんかもなと、これはもう抗いようのない無意識下のアドバンテージのような気がした。

無論彼らには彼らの、大変な道程があったろうしなにより最終戦で力を出し切り順位を上げてもぎとった駿くんがインタで見せた姿は胸を打つどころではなかった。

 

順調絶頂なタイミングに大切な舞台でのアクシデントから耐えてきた時間のつらさは想像を絶する。それまで経験することがなかっただけにたいへんな厳しさかもしれない。

それでも、それこそ幼い頃から頂点を知り周囲の大きな期待を背負い、苦難を経てうまくいかないときも自分はこんなもんじゃないと思える力が、実際その場のコンディションやフィジカルにかかわらず引っ張り上げられて発揮できるようなもともと知る立ち位置が高いことから自然に備わってるんじゃないかなとも感じたのだった。

事実、駿くんはトリノに「戻って」きた

 

 

ここで断っておきたいが、こういう書き出しをするのは、NHK杯フリー後の言葉録画はいまだみれてなくて公式動画から、各社記事毎日倉沢さんの記事、そして後日でた報知ニュースの一問一答までを読んだことがきっかけになっている。

また、ちゃんと書き残したかったのに順番がもう完全に逆になってしまったがNHK杯を現地で3日間観戦して、結果たらればではあるけれど、あんなにデスマッチ呼ばわりされていた大会前になぜだか謎の自信(過信?期待?いやそんなんじゃないと思う)を確かに覚えていたうえに、いざ終わって結果がでてからも不思議と「やはりこれは今回いけたよな」と、現実を受け入れたうえでも思えたり、「ここにはギリ間に合わなかったけどやっとその境地に達してくれて嬉しい」という、烏滸がましさ極まりないオタク感情あっての故である。(一部遠慮を織り交ぜて言ってます)

今回NGフリーなかんじで語ってはいるがどの方面にも一切の他意はなく、まして否定的な話では断じてないのをどうか理解いただければ、と願っている。

 

 

本題に戻る

 

そして

その、私の世界でいちばん応援している人は。

年若いときから身近にそうしたエリート位置との差異を見て感じてきて、自身の世界が開けて一段ずつ上がっていく中で、確かにその階段は、とうに天井に続く扉に手がかかり光が漏れるほど自力でこじ開けられるほどに辿り着いていても、それだから自分には、なおも「彼らに負けないだけのさらに強い気持ち」が足りないんだというつもりでおそらく今まで話していたのかも知れないなと思って。

もう何年もずっとまごうことなきトップの中に揉まれて戦ってきているのに。

 

 

先輩との河原で談話のときにも、世界に出る以前、幼い時から馴染みの先輩達相手ならではな語り口もあったとはいえ、どこかトップアスリートらしからぬ、選ばれし者と自分との違いのようなものを、ああここでそんなふうに話してしまうのかとほんのりざわざわしながら感じてしまっていた。

かといってそれが諦念じゃないのも勿論十分に伝わってはいる。なにせ諦めたことがない男だから。自分はソウジャナイ側だけど目指すところは決まっている、という。

 

頂やその尾根からの景色を知る者。なら、そうでない側の、彼自身の語彙にある「雑草」としてやってきた選手はどうなのか、って時に、「苦労してきた自分の弱点を克服するために見つめて受け入れること」を過程とするのは、むしろ、ちょっとやそっとじゃ揺れない芯の強さが備わってないとできないことで、なおかつ本来いろんな競技のアスリートの多くにとっても必要とする心得なのではと思う。

だが、それ自体がまず目の前の大きなハードルになり、自分の定位置を決めてしまう足枷というか、深層で運命化してしまうというか

本当に無意識下で、やるぞという気合いは当然ありながらも裏腹に、この試合では自分はこれくらいみたいな形に貼り付けてしまうところにはまっていたんじゃないかなとほんのりしかしざわざわと感じていた。

日本国内でトップに立つのはそのまま世界でもトップになるに等しいことだし、そんな五輪メダリストで枠が埋まっていたような強豪国では、エリートなアドバンテージを持たざる者にとってそびえる壁は気が遠くなるほど高く、傍目のトップ、エース的な条件をもっても厳しいもの、と位置づけられてそうで。

 

それを乗り越えられないのは結局弱さだというのは簡単だし端的になにいってんだ自分を信じろよと言うのもあまりに単純だけど、こればかりは、そもそも本当のただの凡人には理解し難い、めちゃめちゃ難しい、たぶんだけど他競技でもトップやそこを志すアスリートの多くが抱えて推敲してるのではと思われる、紙一重の心理なんじゃないかと。

さらには、こつこつのし上がってきた確固たる実績を称えてくれる後ろ盾や環境がなければ、折々目の前のコンディションにたやすく左右されてしまいがちな脆いものなのかも知れない。

まして、具体的にそのことに不安がともなう状態で凌いでたりすると

 

 

それでも周りをなぎ倒していく底意地に頼ればいいが、加えてうっかり洞察力が高いばっかりに他者へのリスペクトに直向きだったり謙虚さやおまけに面倒見のいい優しさまで備えていると、重要な局面では本来人として大切で愛すべき人柄までも勝敗にこだわる場面でつっかえになってくるんかもなと感じてしまったり。

競技への誠実さと仲間を思う気持ちが強いからいま同じ場で競っているはずのライバルをも精一杯応援して、結果としてさらに奮い立たせ力を発揮できるよう後押しする事へつながるのに。それはイコール、ダイレクトに自分の立ち位置やひいては競技人生にまでかかってくるかも知れないのに。

自分は自分でしっかり頑張ればいい、それくらいしなきゃ自分は……、なのだろうが。

 

推しの大好きで人として社会にたつ大人として心から尊敬するところが、微妙な背景や立ち位置とも相まってる勝ち負けの世界では、ただ推しの喜びがみたい成功を望みたいだけのファンの気持ちのうえでは、同時になんともならないもどかしさすら覚えていたのだ

 

 

以前にもここの別の場所でほんのりかすっていていつか語れる日が来たらとタイミング見計らいつつ、デリケートな部分だがこれはもう避けて通れないことだと思うので忌憚なくいうが、草ちゃんの存在が、猛烈に大きくなっているなと感じずにいられなかった。ここ数ヶ月。

そこまでするんだなと思うほど、人目を憚らず(現地私のド正面で)目立ち過ぎるほどに最終滑走の彼が力を出しきれるように檄を飛ばす姿、フランスのときにも聴こえてきた日本語のぜったい観客席からじゃない滑走中の声援といい、スポーツマンシップとか仲間だからとか、ましてオタクの願望混じりに大好きよね〜とかだけじゃ簡単には言い尽くせないものがあるのだろうと感じながら私は見ていた。なぜならそこは0.01点で明暗をわける完全な個人戦の場なのだ。

それは、年明けの名フェスで目立ち過ぎるほどにイオチサロに盛り上がる姿からもすでに感じられていた。どんな時期もきっと変わらず寄り添ってきた仲間だったとは思うけれど、彼が苦しさのなかにいたときにはむしろ表に見せなかった景色。

今季だってもし自分がリードしていた状況ならそこまで見せたかなと思ってしまう。

これは私の想像も過分にあるけれど、エデンの年には確かにフィジカルがイーブンのところまで上がってきていたはずの草ちゃんと、でもそこでは泥試合なんてちょけて言いながら、自分のほうが前を歩いていながらも常に必ずより相手をリスペクトしてみせていた。本当に彼の精神的にも環境的にもフルパワーになった状態で戦えなければいけないという縛りがどこかにあったんじゃないかなという気がして。自分の状況がどうかにかかわらず。

その気持ちが、明らかに意識しすぎだろとか大好きだろとかあげくトップオタみたいに外野に言われるような今季の言動に出ているのかなと思っていた。

 

そのなかで、ちゃんと友野くんは、かつて世界にでる最初のきっかけはともかく、もう今は、ご自身はご自身の習得した技術と実績と自分だけの強さを含む確固とした地力をもって、ちゃんと揺らがずに自信をもっていてくれただろうかということ。

よもやど素人の憶測で、そんなライバルが調子いいから弱気になるだなんてことあり得ないのは分かりきっているが、そういう浅い話じゃなくて、幼い日の立ち位置、ある日を境に運命が大きく別れた数年間のこと、そこからの今現在をなにか確定づいたもののように心の位置をつけてはいけないよ、弁えが自分を下げる形に働いてはいけないよ、と、祈りたくなるような気持ちがあったことは、肩入れはありつつも同時に特別な思いでふたりを見守ってきた自分としては否めない。

本当にデリケートなことだがこの部分、わかってくれるひとがいたらうれしい

 

 

スケートの神的ななにかは気まぐれが過ぎるので。

今季ことごとく試合が重なることとなるのに、ようやく環境が落ち着いてきて虎視眈々と準備し、北京の先の満を持して今季さいたまに照準をあわせてきたかのようなライバルに対して、昨季を集大成とまでいったその先も絶えず多忙を極めるなかで足元を試行錯誤したりショート100超から方向性一新したプログラムに苦心するなか競技者生活が大きく揺らぎかねない環境の変化で拠点は変わらずといえここまで遅れをとった形になってしまった。

 

それが、本人が名前を出し続けるもんだから否応なくみてるこちらも意識せざるをえない状況にもってこられてるところにここまでの対戦経過。

結果ただ、現時点でそれだけのことである、と、思っていてくれたらいいなと祈るような気持ちをもっている。私は。

なにせ次は、もう全日本なので。

 

別の角度から、気をわるくする方がいたら本当に申し訳ない。ただ、何年も実績を重ねて力をつけていながら敵わない選手のなかに名前をあげたり、追いつけるようにという言葉をもって彼と自分を語るのを聴くと、いや、何言ってんだ、というもどかしさが猛烈にわいてきていた気持ちは嘘つきたくなくて。

いつも思うことだが、誰かが不在だったり誰かの代わりに出たタイミングであろうと、2度のワールド入賞も2個のスモールメダルも四大陸銀も、5年間ずっと自力アサイ2戦をキープしてきてその中で4つのメダルを獲得していることも、ましてや実際に国際ジャッジから獲てきたスコアには真実しか無いから。ファイナル進出した選手たちが今季の顔ぶれとか大会ごとの当たりとか繰り上がりだとかは関係なく自力で勝ち上がって決めた結果であるのと同じように、友野くんのそれも自分の力で積み重ねてきたものだから。

 

一問一答で「自分を下げるのはやめよう」という言葉が出てきたのを目にして、誰に対してというわけでなく、ああやはりそういう部分無意識かもしれんけどあったんやなと感じてしまったのだった。

 

 

なんでそんな気持ちになるかといえば勝手に話題に絡めさせてもらって申し訳なかったが、仲良しでライバルなふたりがとか目覚ましく台頭してきた若手がどうこうという話より、これはもうはっきりいって、こんなやっと今度こそ自信もって光の扉をこじあけて熟成した技術のうえに成り立つ表現力が評価されるようになった史上最高のタイミングに(少なくともファン目線では)青天の霹靂みたいな環境の厳しさに見舞われて、多忙と挑戦からスタートダッシュが出遅れたことでメディアの注目から突然取り残されたようにまたかという、おそらく今まででいちばんモチベーションに響きかねない状況に思えてきたりすると、まさかこんなところで「諦めたことがない。で定評の男」が変な限界きめてしまったりはしないでくれよ頼むよ!と、そんな口出しする立場にないのは百も承知の上で、たまらなく釘をさしたくもなるのである。

まどろっこしい言い回しになってしまった察してほしい。

 

この現実と応援する立場の焦りながら祈るような気持ちはもう隠しても仕方ない。

勝手きわまりないがだれか助けて欲しいとも願っている。それこそ頂を知る側じゃないからとか年齢がとか(ここまで)あと一歩の壁を越えられてないからとかそんな既定路線で判断しないでほしい。と思っている。

自分、わりと経済的には苦労の波を経験してきてる人生だけど、それでも、油田もってないことをこんなに腹立たしく思ったのはいま現在が初めてである

 

 

 

タイミングがタイミングなもんで勝手に他選手との話までして申し訳なかったが、ひとりに偏るのもなんなのでついでに言ってしまうとその手の話はなにもこのたびの件に限らず、私こと1オタク目線ではあるが、鍵山くんを意識してるなと感じていた時期もかなりヒリヒリしていた。

個性がかぶらない代表男子のなかにあって、背格好などどこかしか似通ったところもあり、馴染みのお世話になってきた振付の先生がコーチとして帯同している(当時)。境遇に決定的な違いはあれども伸びるタイミングがゆっくりだったからともに野辺山を知らないし、スタートダッシュが一般的な強化選手たちとは違うところが微妙にかぶる。

ミラノワールドからの真の代表枠を目指す苦しい時期に届きかけていたところに急激に駆け上がってきて立ちはだかった壁。しかもずっと若くて可能性に満ちていて。よく知らないひとには何をしても上位変換的に超されて見られてしまうんじゃないかとさえ感じていた時もあった。

そんな折にもやはり、シニアの大会で競技滑走以外のところでまだ不慣れや緊張のある若き天才の、優しい兄ちゃんにこれでもかと徹していたのが強く印象に残っている。

私がこのログを作ろうと思ったきっかけの、2年前の門真NHK杯。自分まで猛烈に悔しかったあの日の表彰式で、前に出るよう優しくサポートしていた姿はいまだ忘れられない。

 

そういえばあの時のエキシもうっかり人違いかと思うほど美しかったな

イカれたラッパがではなく「復活のMai」とのユニゾンが。あの場でふたりを起用してくれた演出には一生感謝する

競技成績のうえでは苦しい時期だったけれどみて明らかにスケーターとして技術ステージが上がってると実感するシーンが多かったのがあの門真だった。

 

 

ライバルでもジュニア相手でも真摯にリスペクトする気持ち、(別記事で嫉妬もすると言葉に出たのはむしろ安心したが)、苦難にあった友を本来いたはずであろう場所に戻って来て欲しい気持ち、しかし圧倒的に親しみやすくて良い兄ちゃん。(そのさまをいまだに表面的にしかとらえず軽くみる人もいる。注目されてるとのび太のくせに生意気だぞうみたいな反応をいまだにする人もいるんですけども。誰にでも出来ることじゃないのに)

そこにここまで積み重ねた確かなものと、それによって備わって世界が認めているはずのものを素直に信じて「自分の強さに向き合う」意識にようやく転換するまでに、どれほどの思考と苦悩と学びがあっただろうと思って。

 

ライバルをリスペクトしたり面倒見よく振る舞うことを、自信の無さの裏返しみたいにとる向きもあるかも知れない。ただ、私が知る限り、ジュニアの頃から立ち位置の上下にかかわらずずっとそうやってきていた。

むしろジュニア最後の年は国内筆頭の立場だったけれどすでに今と変わらない立ち振る舞いだった

 

 

(あまりにも長いのでこの続きは②に分けます)